建物内の犬の咬傷事故が原因で賃借人が退去した場合、賃貸人は飼主に責任追及できるか?(中編)
はじめに
前回に引き続き、高級賃貸マンションにおいて、マンション内で入居者が飼育していたドーベルマンが、他の入居者に咬みつき、これが原因で入居者(ドーベルマンに咬みつかれた被害者)がマンションから退去した場合に、マンションの賃貸人がドーベルマンの飼い主に対して損害賠償請求をした裁判例(東京地方裁判所平成25年5月14日判決、東京高等裁判所平成25年10月10日判決)をご紹介します。
今回は、この裁判例の第1審判決の内容をご紹介します。
第1審判決は、原告の計5220万0115円の請求のうち、385万円の限度で請求を一部認容しています。
なぜ、第1審裁判所は、原告の損害を、この金額で認定したのでしょうか?
結果的に第2審判決によって損害額は増額されていますが、第1審判決の認定した損害額も、一定の合理的な判断によって損害を認定しています。
第1審判決(東京地方裁判所平成25年5月14日判決)の内容
法的構成について
第1審裁判所は、まず、不法行為の成否を判断する前提として、本件における損害のとらえ方について、法的構成を間接損害構成と直接損害構成に整理しました。
裁判所は、原告の主張する法的構成について、「本件不法行為に関する原告の第一義的な主張は、直接被害者を夏子(注:賃借人甲田社の代表である乙野春夫氏の妻)とする本件事故に係る加害行為を前提とするものと解され、被害者を夏子、被侵害利益を夏子の身体として構成される不法行為を主張するものと理解される。」と整理し、「本件不法行為をこのようなものとして把握した場合、過失の内容は本件事故により夏子に傷害を負わせたことについての注意義務違反が問題となるにすぎない一方、賠償請求の対象とされる損害は、夏子の身体に対する加害行為から直接に発生する夏子の損害(治療費、慰謝料等)ではなく、このような直接被害から派生した原告の得べかりし賃料収入の喪失という間接損害であり、上記加害行為と間接損害との相当因果関係が問題となることになる。」と述べました。
また、被告が主張する法的構成については、「被告らは、〈1〉本件不法行為は賃料債権の侵害であるところ、第三者による債権侵害の不法行為が成立するためには故意が必要である、〈2〉過失を問題とするとしても、夏子に対する過失ではなく、原告に対する過失を問題にすべきであると主張する。」と整理した上で、「被告らのこの主張は、本件不法行為の構成を、被害者を原告、被侵害利益を原告の賃料債権として、被害者自身の直接損害の賠償が求められていると理解するもの(直接損害構成)であり、間接損害構成に特有の問題は生じない一方、被告の主張するように、過失の対象が変わってくるほか、債権侵害として主観的要件が加重されるかどうか等の問題をはらむこととなる。」と述べました。
簡単に解説をさせて頂きますと、前者の原告が主張している法律構成(間接損害構成)は、本件犬による咬傷事故の被害者を、実際に犬に咬まれた夏子(02号室の入居者)と捉えているのに対して、後者の被告が主張している法律構成(直接損害構成)は、咬傷事故の被害者を、(夏子らの退去により)賃料の支払いを受けられなくなった賃貸人(原告)と捉えている点で違いがあります。
そのため、不法行為の過失の前提となる、被告らが負担する注意義務の内容が、間接損害構成では、「人(夏子)の身体を侵害しないこと」となるのに対して、直接侵害構成では、「賃貸人の賃料債権を侵害しないこと」となります。
分かりやすく図示すると、以下のとおりになります。
<間接損害構成>
本件犬による咬傷事故 = 夏子の身体に対する加害行為 → 夏子の身体が侵害された結果、甲田社が賃貸借契約を解約 → 賃貸人の賃料債権が侵害される
<直接侵害構成>
本件犬による咬傷事故 = 賃貸人の賃料債権に対する加害行為 → 賃貸人の賃料債権の侵害
本件事故について、間接損害構成として捉えた場合、本件の争点は、「夏子の身体に対する加害行為と、原告の賃料債権侵害との因果関係の有無」という点が争点になります。
また、直接損害構成として捉えた場合、本件の争点は、「本件犬による咬傷事故が、賃貸人の賃料債権に対する不法行為となるか(=被告らに故意・過失が認められるか)」という点が争点になります。
裁判所は、上記の整理を行った上で、以下のとおり、間接損害構成、及び、直接損害構成のいずれの観点からも不法行為の成否を検討しました。
間接損害構成による不法行為の成否
裁判所は、間接損害構成について、直接の被害者以外の者に生じた損害を賠償すべき場合について、「不法行為の被侵害利益の法主体Aと、賠償を求める損害の法主体Bとが、別人格となる、いわゆる間接損害の事案において、当該損害がBに固有の損害である場合には、原則として、Aに対する加害行為とBの当該損害との間に相当因果関係を認めることはできず、例外として、AとBとが経済的に一体関係にあると認められる場合に限って、Bに発生した損害についての相当因果関係が肯定され、その賠償請求が認められるにとどまると解するのが相当である。」「他方、Bに生じた損害が、Bに固有の損害ではなく、Aに生じた損害をいわば肩代わりした反射的損害といえるような場合(講学上のいわゆる不真正間接損害の場合)には、AとBの法主体の違いを理由に、加害者の賠償義務を免れさせる理由はなく、民法四二二条の類推適用により、当該損害の賠償請求を認めるのが相当である。」と述べました。
すなわち、間接損害構成による請求が認められる場合については、(1)不法行為の直接の被害者と、損害賠償の請求者が経済的に一体である場合、若しくは、(2)損害賠償の請求者に生じた損害が、(請求者に固有の損害ではなく、)直接の被害者に生じた損害を肩代わりした反射的損害といえる場合、ということになります。
その上で、裁判所は、上記の(1)については、「夏子と原告との間又は甲田社と原告との間に、経済的な一体関係があるわけではないから、原告に生じた固有の損害につき、夏子への加害行為(本件事故)との相当因果関係を認めることはできない。」と述べて請求を否定しました。
一方で、上記の(2)については、「本件事故は、一歩間違えば、夏子のみならず、4歳の子供の生命、身体にさえ重大な危害が及びかねないような極めて切迫した状況であったといわざるを得ない。そして、本件マンションは、わずか7世帯だけが入居する超高級マンションであり、月額175万円という高額な家賃は、セキュリティ面の安心感に対する対価という側面もあると解されるところ、本件事故は本件マンションの敷地内で起きていること、本件犬の飼い主である被告ら夫婦は本件マンションの居住者であり、夏子が02号室での居住を継続した場合、今後とも本件犬の飼い主である被告ら夫婦と隣人として接しなければならないこと等を考えると、本件事故と、本件賃貸借契約を期間満了前に解約せざるを得なくなったこととの間の狭義の相当因果関係は、十分認めることができるというべきである。」、「本件において、本件賃貸借契約の実際の賃借人は甲田社であって、賃貸借期間中の解約により解約違約金を負担することになるべき法主体は甲田社であるが、甲田社は、乙野春夫・夏子夫婦の家族のための住居を提供することのみ目的として本件賃貸借契約を締結していたのであって、甲田社が負担することになるべき解約違約金の損害は、夏子に生じたはずの損害の肩代わりという実質を有すものにほかならない。」、「本件では、実際には、甲田社と原告との間の本件賃貸借契約の合意解除に際し、原告は甲田社に対し解約違約金の支払債務を免除しており、このため、原告は、解約予告期間及び解約違約金条項によって本来保全されている二か月分の賃料収入を失うことになったわけであるが、この損害は、本来、甲田社に生じたはずの解約違約金の損害が原告に転嫁された反射的損害というべきものである。」と述べて、原告が合意解約の際に支払いを免除した、解約違約金(賃料2ヶ月分)350万円、及び、弁護士費用35万円については、本件咬傷事故と相当因果関係のある損害と認定しました。
上記の裁判所の考え方は、(1)本来であれば、夏子(甲田社)は、解約違約金を支払わなければ即時に賃貸借契約を解約できないので、解約金違約金相当額については、本件事故によって夏子(甲田社)に生じていた損害であるということを前提に、(2)原告が夏子(甲田社)に対して解約違約金の支払いを免除することで、原告が夏子に生じた損害を肩代わりしたといえることから、本件事故と損害との因果関係を認めています。
直接損害構成について
裁判所は、直接損害構成については、賃料債権の侵害についての不法行為成立のために故意が必要であるかという論点について、「第三者による債権侵害といっても、具体的な問題場面は区々であって、そうした個別性を捨象して一律に故意が必要となるという実定法規があるわけでないことはもとより、その旨の判例法理が確立しているわけもない。あくまでも、実定法規の枠内で、それぞれの事案類型に即した適切妥当な解釈が求められているというほかない。」「本件は、不動産賃貸業を営む原告が、その取引先である甲田社との間の取引(本件賃貸借契約)を破棄されるに至り、営業上の得べかりし利益を失った事案ということができ、その被侵害利益は、甲田社に対する賃料債権(将来発生する支分権たる賃料債権又は基本権たる定期金債権としての賃料債権)ということもできるが、営業利益(営業権)ということもできる。そして、債権の侵害というか、営業利益の侵害というかは、多分に説明(用語)の違いにすぎないところ、営業利益の侵害が問題とされる不法行為において一般に故意が要求されると解されていないこととの均衡を考えると、少なくとも本件のような事案類型において、不法行為の成立のために故意を要求することは相当でないというべきである。」と述べて、故意を不要(=過失のみでも不法行為は成立しうる)としました。
その上で、本件における、不法行為成立のための過失の内容については、「加害者において、上記権利・法益(原告の賃料債権ないし不動産賃貸業に係る営業利益)の侵害の回避に向けられた具体的な注意義務の違反があった場合に限られるというべきであり、かつ、当該注意義務は、権利・法益侵害についての一般的抽象的な予見可能性のみによって基礎づけられるものではなく、加害者側の行為の危険性と有用性、被害者側の法益の要保護性等の総合的な衡量の下で、具体的な結果回避義務が導かれることを必要とする。」と述べました。
そして、本件では、「被告ら夫婦は、ドーベルマンである本件犬を六歳の子供のみで連れ出すに任せて、突発的な事態に即応できるような態勢を整えておかなかった点で、本件事故の発生に向けられた過失があるということは言えても、当該行為(不作為)は、夏子が入居している02号室の賃貸人の賃料債権、不動産賃貸業に係る営業利益を喪失させる定型的な危険を伴うものではなく、その権利・法益の侵害に向けられた具体的な注意義務違反を直ちに基礎づけることはできない。」「原告の賃料債権自体、もともと二か月の解約予告期間の経過をもって代えられる権利であり、一定の空室期間の発生も本来的に想定されているということを併せ考慮すると、やはり、原告の賃料債権又は不動産賃貸業に係る営業利益の侵害に向けられた具体的な注意義務を基礎づけるには足りないといわざるを得ない。」と述べて、上記の過失を否定し、直接損害構成による不法行為の成立を否定しました。
まとめ
以上のとおり、第1審裁判所は、間接損害構成を前提に、被告ら夫婦に対して、385万円(解約違約金350万円、弁護士費用35万円)の損害賠償義務を認容しました。
こうした判決の流れを見ると、解約違約金相当額を損害と捉える、上記判決の内容は、一定の合理性があると思われます。
では、なぜ、第2審裁判所は、第1審判決の4倍以上の金額の損害を認定したのでしょうか?
最終回となる次回では、第2審判決をご紹介した上で、両判決の考え方の違いを解説します。